菅江真澄

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「おぶちの牧」をたどる

おぶちの牧江戸時代の紀行家菅江真澄の「おぶちの牧」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。田名部を出て太平洋岸に至り、南下して、白糠、泊、尾駁に行きます。野辺地に行こうと思いますが道が雪に閉ざされているので、来た...
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「牧の朝露」をたどる

牧の朝露について江戸時代の紀行家菅江真澄の「牧の朝露」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。田名部に滞在しています。近く田名部を出発しようと思い親しい人に別れを告げるために大畑に向います。さらに、下風呂、易國間...
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「奥の浦うら」をたどる

奥の浦うらについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「奥の浦うら」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。菅江真澄遊覧記では「奥の浦うら」の前は「牧の冬枯」ですが、間に「えぞがいわわや」という日記があるそうです。日記その...
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「岩手の山」をたどる

岩手の山について江戸時代の紀行家菅江真澄の「岩手の山」に出てくる通過地や滞在地をだどります。天明8年(1788)の旅です。菅江真澄は、数年滞在していた胆沢郡前沢を出立して北海道を目指します。ここでは岩手県内の部分は省略して三戸に入るところか...
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「外が浜風」をたどる

外が浜風について江戸時代の紀行家菅江真澄の「外が浜風」に出てくる通過地や滞在地をだどります。天明5年(1785)の旅です。菅江真澄は大間越から津軽に入り、深浦、弘前を経て青森に入ります。北海道への渡海を断念し、南下して矢立峠を越え秋田に戻り...
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「牧の冬枯」をたどる

牧の冬枯江戸時代の紀行家菅江真澄の「牧の冬枯」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政4年(1792)の旅です。菅江真澄は滞在していた北海道を出立し、下北半島の奥戸に入り、大畑、田名部などで過ごします。恐山に行ったほかには目立った動きはあ...
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「すみかの山」をたどる

すみかの山について江戸時代の紀行家菅江真澄の「すみかの山」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政8年(1796)の旅です。青森から、三内、入内、浪岡、水木などを経て黒石に行きます。文中の日付は旧暦です。なお、日記が始まる寛政8年4月13...
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「外が浜づたひ」をたどる

外が浜づたひについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「外が浜づたひ」に出てくる通過地や滞在地をだどります。天明8年(1788)の旅です。菅江真澄は蝦夷地に渡るために、岩手から野辺地に入り、狩場沢(平内町)で津軽に入ります。狩場沢からは陸奥湾沿いに...
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昔の節分

江戸時代の紀行家菅江真澄が田名部(むつ市)に滞在していたときに節分を見ています。「二十三日 節分である。豆をまく男が、炭、松の葉、いわし、昆布などをいり豆にまぜて枡に入れ、あ という息で、鬼は外にといい、う という声に福を呼び、「なにの目を...