奥の浦うらをたどる

江戸時代の紀行家菅江真澄の「奥の浦うら」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。

菅江真澄は下北半島に滞在しています。下北半島西岸の佐井、牛滝、仏ヶ浦などを巡り、南岸の脇野沢、川内、城ヶ沢を巡って田名部に戻ります。その後、恐山にのぼります。

文中の日付は旧暦です。なお、日記が始まる寛政5年4月1日は新暦では5月10日にあたります。日記が終わる6月25日は8月1日にあたります。

以下、東洋文庫版菅江真澄遊覧記3「奥の浦うら」からの引用です。

寛政5年4月1日

佐井から小舟に乗って弁天島、矢越岬、かんかけの浦(願掛岩)、磯谷、あなま、長後、長浜、福浦山、入道石、仏がうだ(仏ヶ浦)、極楽はま、てんがい石、うし穴を見ながら牛滝で舟を降ります。

村長坂井某の家に泊まります。

4月2日

牛滝に滞在し、神明社、弁財天の祠、真如庵に詣でます。

4月3日

うし穴のあたりを散策します。

4月4日

小舟に乗って近くを巡ります。仏がうだを過ぎて、極楽浜で降ります。また小舟に乗って福浦で降ります。長後、あなま、磯谷、ほんたの神(矢越八幡宮)、神掛・鍵掛、矢越を経て佐井に着きます。しなたの家に泊まります。

4月5日

松齢山法性寺の桜を見に行きます。

4月6日

亀井山発信寺を訪れます。

4月12日

佐井に滞在しています。

4月16日

浦々を巡りながら田名部に帰ろうと佐井から小舟に乗ります。ごんべ島(弁天島)に上陸して弁天に詣でます。糠森で舟を降ります。かんかけ、磯谷を過ぎて山道をたどります。長後で宿泊します。

4月17日

長浜、大黄楊の山坂、福浦に着いて宿泊します。

4月18日

牛滝を目指して山道を行きます。牛滝の坂井の家に着いて宿泊します。

4月20日

牛滝に滞在しています。

4月27日

牛滝を出立します。小舟に乗って、小つなさかり、大つなさかり、小荒川を過ぎ大荒川で降りて、山道を行きます。おおやまずみの神の社、源藤次郎(源藤城)、潟貝、滝山を経て、脇野沢(愛宕山公園)に着きます。村長のところに宿泊します。

4月28日

脇野沢に滞在しています。

4月30日

土橋から鶴首山に登り、をたき(愛宕)社(愛宕山公園)に詣で、尾根伝いの道を九艘泊(九艘泊漁港)の方向に歩き、同じ道を脇野沢に帰ります。

5月1日

脇野沢を出立します。神明社(脇野沢八幡宮)、松が崎(松ヶ崎石神邨社)、口広川、小沢、殿崎、古城の跡(蛎崎城趾)、飯形(いなり)の社、姫小松(蛎崎八幡宮)、めくら川、宿野部、檜川、葛沢、川内、観世音、川内川を渡ったところで宿泊します。

5月2日

熊野社、田野沢、戸沢村、角違、泉沢・一里越を経て、城が沢で宿泊します。

5月3日

神明の社、宇曽利川、宇田村、川守村、釜臥山をまつる下居の宮(兵主神社)、大平、願求院、三日月堂、肥泥(ひどろ)村、金谷を経て、えび川を渡って田名部に入ります。

5月5日

田名部に滞在しています。

5月6日

田名部に滞在しています。

5月14日

田名部に滞在しています。

5月15日

田名部に滞在しています。

5月16日

石神、願求院跡、田屋を歩きます。

5月20日

田名部に滞在しています。

5月25日

恐山(恐山)に行きます。

5月26日

恐山に滞在しています。

5月27日

田名部に帰ります。

6月1日

田名部に滞在しています。

6月2日

恐山に向かいます。

6月5日

恐山に滞在しています。

6月6日

恐山に滞在しています。

6月7日

恐山に滞在しています。

6月10日

恐山に滞在しています。

6月23日

恐山に滞在しています。

6月24日

恐山に滞在しています。

6月25日

田名部に滞在しています。


牧の冬枯ー奥の浦うらー牧の朝露

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