江戸時代の紀行家菅江真澄が田名部(むつ市)に滞在していたときに節分を見ています。
「二十三日 節分である。豆をまく男が、炭、松の葉、いわし、昆布などをいり豆にまぜて枡に入れ、あ という息で、鬼は外にといい、う という声に福を呼び、「なにの目をうつ、鬼の目をうつ」と呼ばうのは、打擲四方眼晴であろうか。御菩薩の池の辺の鬼を追いはらうといって、三石三斗の豆をうったのをいうのであろうか。家屋敷のすみずみまで豆をうって巡り、そして神棚や仏壇に しとぎ、いり豆を供え奉り、どこの家でも拝んでいる。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 牧の冬枯 寛政四年(一七九二年)十二月の日記より引用
いり豆だけでなく、「炭、松の葉、いわし、昆布などをいり豆にまぜ」たものをまいたと書いています。いつしか「いり豆」だけになり、今は落花生に変わりました。
写真は青森市廣田神社の豆まき(始まる前)です。
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