龍飛漁港

下の写真は階段国道の途中からみた龍飛(たっぴ)漁港です。

龍飛漁港

漁港の西側に壁のようにそびえる帯島(おびじま)です。弁天宮の赤い社殿がみえます。

龍飛漁港と帯島
弁天宮

江戸時代の紀行家菅江真澄は近くの上宇鉄という浦から蝦夷地に渡りました。龍飛までは来ていませんが、宇鉄にいるときに地元の漁師から帯島の弁財天の話を聞いて書き留めています。

菅江真澄 外が浜づたひ 東洋文庫版 菅江真澄遊覧記2 天明八年(一七八八年)七月十二日の日記より引用

「この浦のはずれに竜飛というところがあって、そこの帯島という荒磯の岩に弁財天を祀った祠がある。」

そして、菅江真澄が乗った船が宇鉄を出て龍飛にさしかかったとき、船乗りが弁天に祈ったと書き残しています。竜飛の弁財天が津軽海峡を渡る船乗りに深く信仰されてたことがわかる逸話です。

「宇鉄の泊(とまり)を離れた。竜飛が崎にさしかかったが、波風も静かで(中略)わずかの波もたち騒がなかった。弁財天の島かげをめぐってゆくその時、梶(かじ)とりが大声で、『よい日和を給われ弁財天』と叫んだのにおどろいて頭をあげると月もくらくみえて、海の上もないで(以下略)」

この後、「風が吹きおこり波も高く荒れだし」「帆柱も吹きたわむほどいよいよ風が吹きつのる」「船が深い谷などにのり入れるように波のうねりがきて」「まったく生きた心地もせず」という航海になったものの、船乗りたちは平気でずっと歌をうたっていたそうです。

弁天宮から
港内
港内

ところで、このブログのタイトルを書く時に「竜飛漁港」か「龍飛漁港」かで少し迷いました。下の写真のように、青森県が漁港に設置した看板には「竜飛漁港」と書いてあります。漁港内にある漁協の事務所も「竜飛今別漁業協同組合竜飛支所」でした。なので正式には「竜飛」なのだろう、と思いながら少し東寄りに歩いたら別の看板が立っていて、そちらの看板には「龍飛漁港」と書いてありました。同じ青森県が設置した看板です。帰ってから青森県ホームページをみたところ、「青森県の漁港一覧」には「龍飛漁港」と掲載されていました。結局、どちらが正解か分かりませんでしたが、町営バスの停留所が「龍飛漁港」だったのでこのブログでは「龍飛」をとりました。ちなみに、外ヶ浜町ホームページの「住所表記」には「字三厩龍浜(みんまやたつはま)」という住所はありますが、龍飛も竜飛も見当たりません。

漁港看板

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