羽州街道 陸奥新城駅から油川、そして青森駅まで

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江戸時代、弘前から鶴ヶ坂を越えて青森に行くコースは、新城から左折して岡町を通って大浜(油川)を経て、海沿いに青森に入っていました。新城を直進して石江を経て古川に入る旧国道7号は明治4年に開削された新道です。

江戸時代後期の紀行家菅江真澄の日記(東洋文庫版菅江真澄遊覧記3寛政七年十一月二十五日から二十九日)によれば、弘前に滞在していた菅江真澄は、11月25日(旧暦)に水木(藤崎町)を出立して女鹿沢(浪岡町)に泊まり、翌26日、大釈迦、津軽坂(鶴ヶ坂)を経て新城、岡町を経て大浜(油川)に入っています。大浜では、十二所権現(熊野宮)の神主澤田兼悉の元に3泊滞在して29日に青森に入っています。

今回は、菅江真澄が歩いた道をたどってみました。

新城駅前を10時に出発しました。(2026年3月22日)

国道234号を油川方面に向かいました。出発してすぐ、左手に金峰神社の鳥居がみえます。今回は参拝せずに鳥居前で拝礼して通り過ぎました。

青森西バイパスを横切ります。

この辺りは人家がありません。この先、去年クマが出たところなので辺りを見ながら足早に進みました。

岡町橋を渡ると人家が増えます。ここは岡町バス停です。

さらに直進すると新幹線の高架があります。

さらに直進し、左手に油川小学校をみて進みました。

津軽線の踏切です。

踏切を過ぎてすぐ左折です。左折してまもなくのところに「羽州街道終点地」の看板がありました。

伝馬町の熊野宮に参拝してきました。

熊野宮前から少し進むと突き当りに「羽州街道松前街道合流碑」がありました。ここも終点地ということになります。

この石碑のある通りが油川の中心街です。大正末と昭和初期の地図によると、この辺りに五十九銀行、呉服店、旅館など、多くの店が並んでいました。

北に進むと十三森バス停があります。

十三森バス停から海岸に向かってみました。きれいなところです。

十三森バス停に戻って南側に熊野神社(十三森熊野宮)が見えます。熊野神社に参拝してきました。

すぐ近くに油川駅があります。駅に郵便局が入っていました。駅舎の右の部分です。

中心部に戻って、ファミマでコーヒータイムをとり、国道280号を徒歩で青森駅方面に向いました。

青森みちのく銀行を過ぎ、天田内川を渡った左側に石碑がありました。古い地図と照らし合わせたら、昔、町役場と小学校があったところのようです。石碑の表には「先人の足跡消えず 青森市長工藤正書」とありました。

小学校と役場の向かい側が浄満寺です。

さらに進むと右に神明宮があります。

神明宮の先は明誓寺です。大正から昭和にかけて明誓寺の両隣には「区裁判所」や「穀物検査所」があったようですが、今の風景からはわかりません。

新城川を渡って沖館に入ります。

沖館市民センターです。

森林博物館です。

市役所柳川庁舎です。

青森駅西口です。到着は13時ころでした。

青森駅でパンを買い、アスパムの方に行ってベンチに座って遅めの昼食をとりました。この付近で海を見ながら1時間ほどのんびりしました。

今日の歩きは、Googleマップでは10キロとなっていたのですが、アップルウォッチには15キロと表示されました。油川の街を行ったり来たりしたからだと思います。やや疲れましたが、この位の歩きなら、まだ大丈夫です。