目屋の清水観音は、子の一代様です。一代様というのは、生まれ年の干支によって決められた守り本尊様のことです。こちらの守り本尊は千手観音菩薩です。
場所は、弘前市の東目屋地区です。弘前から目屋の方向に向かうと大きな看板が見えてきます。津軽三十三観音2番札所でもあります。この看板の場所を右折してすぐです。
鳥居です。目屋の清水観音と呼んでいますが、多賀神社という神社です。元は千手観音菩薩像を本尊とする寺院だったそうです。
鳥居の左手にある手水舎、観音様のわき水と表示してあります。
鳥居をくぐってすぐのところに遥拝殿があります。本殿まで上るのはけっこう大変ですから。
少し上っていくと御神馬の出迎えを受け、
さらに進むと狛犬。
狛犬が屋根付なのは珍しい。
社殿が見えてきました。京都の「清水寺」を模しているとか。
かなりの急こう配です。
社殿の裏にある大岩。
多賀神社の社額です。
菅江真澄も訪れています。
菅江真澄 雪のもろ滝より
「桜庭というところの山ぎわに、大同年間にたてたという楼(たかどの)のようにたいそう高い清水の観世音の堂があった。これは花咲松の山からふたたびうつしたものだという。たくさんの杉木立、その木々にふりかかっている雪のなかから、欄干が高く、つとあらわれているのを目標として山ぎわの村に行き、いくつもの坂をのぼって、みたらしが凍りついている岩のしたたりで手を洗い、口をそそいで、小橋をわたり、後ろ側からこのお堂にはいった。軒は杉の梢にひとしく、たいそう高い。春は霞む木の間に桜が見え隠れして咲きまじっている景色がまたとなくおもしろく、さくらばの村の名にふさわしいところというが、いまはふりしきる白雪にかくれて、遠近のさかいもわからない。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(一七九六年)十一月四日の日記より引用