雲祥寺 五所川原市金木町

金木町の雲祥寺です。太宰治は幼いころ子守のタケに連れられてよくこのお寺に遊びに来たそうです。

山門です。上が鐘堂になっています。

山門

寄進した金木屋(武田家)が甲斐の武田氏の末裔だったことから武田菱が彫られています。

梵鐘

本堂です。太宰はここの本堂で地獄極楽を描いた十王曼荼羅をみせられ、大きなショックを受けたらしく、「嘘を吐けば地獄へ行ってこのように鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされた時には恐ろしくて泣き出した。」と「思ひ出」に書いています。

本堂

境内の松。樹齢500年以上だそうです。

お寺の由来が境内に掲示されていました。

=以下引用=
慶長元年(1596)南部櫛引村領主 武田甚三郎 天正九戸の乱をのがれ、繁翁茂和尚他五人の腹心と共に津軽は当地に到り、寺を建立。繁翁茂和尚 雲祥寺開基となる。
寛文七年(1667)津軽藩の藩命によって太平山長勝寺十四世聖眼雲祝和尚を勧請開山とし、以来曹洞宗通幻派に属し今日に到る。
文化八年(1811)十五世愚全和尚が中興、昭和四十四年(1969)二十三世無為哲三和尚が重興し、現在の総ヒバ造りの本堂を構える。
正面山門は享和三年(1803)開基家武田家(金木屋)が寄進。
家号金木屋から当地名 金木が発祥したという説並びに山門に刻まれた一対の武田菱の紋等歴史的に興味深い建造物である。
寺宝十王曼荼羅は江戸中期頃の掛図で、木村宇兵衛の寄進によるものであり、作家太宰治の「思ひ出」に紹介されてから、見学者が多く見られるようになった。
=引用ここまで=


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