猿賀神社の参道に2つのお寺があります。神宮寺と蓮乗院です。
猿賀神社と2つのお寺の関係について少し書いてみます。
猿賀神社というのは明治以降の名称で、かつては深砂大権現、あるいは深砂宮といいました。深砂宮の境内には別当寺である神宮寺があり、参道の両側には12のお寺が並んでいました。この12のお寺を猿賀十二坊と呼んでいたそうです。
ところが、弘前藩の藩祖津軽為信によって神宮寺と十二坊のうちの八坊が破却され、四坊になってしまいました。その後二代藩主信枚が神宮寺の再建を許したので、幕末まで深砂宮の境内には別当寺の神宮寺と支院四坊があったことになります。
今は神社とお寺が同じ境内にあることはほとんどありませんが、明治の神仏分離令の前は、神社と寺院が同じ境内にあるのは当たり前の風景でした。猿賀の場合には猿賀大権現を祀るために神宮寺という寺院が建立されていたのです。今では考えられないことですが、別当寺である神宮寺の僧侶が読経して猿賀大権現を祀っていたのです。神仏習合といいます。
ところが明治になると神仏習合が許されなくなりました。神仏分離令が出たのです。これにより猿賀大権現は猿賀神社に名称を変えて、神宮寺は廃寺になってしまいました。さらに、仏教を排斥する廃仏毀釈運動の影響により二坊が廃寺となり、存続できたのは東光院と蓮乗院だけになってしまいました。
その後、東光院は神宮寺を継承して、寺名を猿賀山長命院神宮寺と改めて現在に至っています。
この案内柱には「天正十三年猿賀十二坊為信に一山破却さるより約三十年津軽越中守信枚公により復興される。・・・・」と書いてあります。
神宮寺の仁王門はもと神社参道正面にあった旧神宮寺山門です。