明治九年、明治天皇陛下が東北御巡幸のおり、五戸で休憩されたときのことです。
御用掛近藤芳樹氏の日記に以下のような記載があります。
「広さ七間ばかり奥の入り四間ばかりもあらんか八戸雪中の図を作りたり。坊の家々を始め神社仏閣更に山も野も川も、あるいは長き橋を渡らせるさま、あるいは港に船をうかべる景色などいとも細かに作りたり。」
そして、御巡幸を取材した岸田吟香記者の「東北御巡幸記」には、
「幅七間奥行四間の八戸の三景、そば、あわ、いぐさ、麻、大豆、芋のはな等で制作した作品を天覧に供した。」
との記述があります。
穀物で作っていると書いてあるので、穀物を貼り付けて絵柄を作るいわゆる穀物画ではないかと思ったのですが、高さでなく奥行きを表示しているので、単なる壁画風のものではなく、立体的なもの、いわゆるジオラマのようです。
江戸時代文政期以降に流行した細工見世物の系統かもしれません。竹、昆布、種、銭などのありふれた素材を使って人目を驚かせるリアルな造形品が見世物興行にかけられたようです。
それにしても巨大です。一間は約1.8メートルですから、七間と四間は約12.6メートル×7.2メートルです。
こうしたものは、素人が思いついて作れるものではないでしょう。明治初期の五戸に、穀物を用いて細工物を作る第一級の技能者がいたということです。
残念ながら現在の五戸地方ではこのような作品をみることはできないようです。昔の写真などが残っていればうれしいのですが。
津軽の鶴田町では、毎年正月に穀物を貼り付けた画を神社に奉納していて、道の駅つるたでも見ることができます。弥生画といいます。
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