深浦町岩崎のオカモイ様に行ってきました。漁港近くの岩場にオカモイ様と恵比寿様が鎮座しています。
こちらがオカモイ様です。
オカモイはアイヌ語のカムイからきているようなので漢字でかけば「御神威」になると思います。
この案内板は、左がオカモイ様、右が恵比寿様という意味だと思います。右の台座は弁天様の像です。
こちらが恵比寿様。
オカモイ様から見る岩崎漁港です。
オカモイ様について調べてみたところ、青森県文化財保護協会発行の東奥文化第三十八号の「岩崎村弁天島恵比寿宮勧進趣意書堀内晃太郎」に次のような記述をみつけました。要約して引用します。
大嵐の夜(文久三年(1863年)11月13日(旧暦))、一夜にして二つの大岩が出現したと書いてあります。
これについて村人が話し合ったところ「誰いふとなく、松前オカモイ様、御神慮に叶い為されざる儀御座候て、御当国へ御出現にて我を恵比寿神と唱え、帰依信心これ有らば、大漁満足五穀成就、守護を為すべき」ということになったとのことです。
つまり、岩崎の海岸に一夜にして出現した大岩を、岩崎の人たちが北海道のオカモイ様が遷ってきたと考えて祀ったという伝承です。そして、オカモイ様を恵比寿神として祀ったとも書いてありますが、オカモイ様と恵比寿神は別々の祠で祀られているようです。
さて、「松前オカモイ様」つまり、北海道のオカモイ様が遷ってきたのであれば、どこから来たのかということになります。北海道のオカモイ様については「アイヌ語地名を歩く山田秀三著北海道新聞社」に次の記述があります。
「積丹半島の突端神威(カムイ)岬の(中略)岬の前の海中に巨大な柱のような岩が一つ立っていて神霊のいますところとされ、アイヌの人はそれをカムイ(神)と呼び、和人は訛って「おかもい様」という。」
積丹半島をネットで検索したら「神威岩」というのがあるようです。縦型の巨岩で高さは41メートルだそうです。岩崎に出現した大岩は、大が一丈一尺(約3.3メートル)小が八尺(約2.4メートル)ということなので本家に比べればだいぶ小ぶりです。
文久三年に岩崎に現れた大岩は、今はありません。上記の「東奥文化」に記載されている伝承によると、女人禁制を犯したものがいたため神様が怒って二つとも海に沈んでしまったとのことです。
なお、検索していたら秋田県八峰町の岩館漁港に「於加牟恵神社(オカムイ様)」があるのを見つけました。オカモイ様伝説は深浦町岩崎だけではないようです。