岩木橋は、弘前市中心部と旧岩木町をむすぶ橋です。県道3号線(弘前岳鰺ヶ沢線)の橋です。弘前〜百沢間は藩政時代から百沢寺(現岩木山神社)の参道になっていて百沢(ひゃくざわ)街道と呼ばれていました。
富士見橋から岩木川右岸を上流に歩いて岩木橋に向います。
岩木橋が見えてきました。
歩道と車道が別れています。
橋を渡ったところは旧岩木町、現在は弘前市の大字の一つになっている駒越です。対岸に駒越町がありますが、これは旧駒越村が川の両岸にわたっていたころのなごりです。
橋のたもとに立つ木柱には「戦国期頃の古る村である。藩政時代は駒で越す渡し場として栄え、城下町の出入口をなした。四代信政は天保二年(一六八二)戸樋へ口川を仕切り、駒越川一筋に堀替えをする。駒越組に編成されて四四村を統括する。」と書かれています。
ここに明治9年に橋がかけられました。
「百沢街道の駒越に岩木橋がかかったのは明治九年で、川原巾五〇間、水巾二五間、そして橋は巾三間二尺で長さ四〇間四尺である。ここは当時一人一銭の渡し賃をとった。」(1964年発行の弘前市史より)
江戸時代の紀行家菅江真澄は、駒のかたちをした舟で渡ったと書いています。
菅江真澄 津軽の奥(四)より
「毛内茂幹が百沢へ行くのに同道した。駒越のわたりといって、岩木川の早瀬を、将棋の駒のかたちをした舟を綱でひいて渡しているのにのった」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(一七九六年)三月一日の日記より引用
岩木川左岸を歩いて岩木茜橋に向います。
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