左京沼 東通村

左京沼は、東通村の太平洋岸にある猿ヶ森(さるがもり)砂丘に属する砂丘湖でヒメマリモが生息しています。

左京沼

付近には、左京沼だけでなく、丸沼、小沼、井戸沼、妹沼、姉沼、長沼、大沼、タカ沼、タテ沼、赤川沼、片貝沼、荒沼など、沢山の沼があります。

菅江真澄がここを通過したときに「そのような名の人が落ちたのであろうか」と書いています。当時すでに、左京という人が落ちたという言い伝えがあったようです。

菅江真澄 おぶちの牧より
「むかし、そのような名の人が落ちたのでいうのだろうか、左京沼といって大きな湖があり、すぐそばに荒沼がならんでいるので、この二つの沼を夫婦のようにみていた。ほどなく荒沼の堤をめぐり浜路にでて、行くと間もなく小田野沢にでた。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政五年(一七九三年)十一月二十九日の日記より引用

地元の森氏が次のような伝説を紹介しています。

「左京の由来について地元では、むかし、都に左京という立派な武将が住んでいたが、ある事情から追われる身となり、真白い愛馬に乗って、北へ北へと落ちのび、ついに本州の果て、下北までやってきたが、不幸にも病を得、逃げのびることも不可能になったため、愛馬もろとも沼に入って亡くなったという。以来この沼を左京沼というのである。」
森勇男著 下北風土記 北の街社発行

また森氏は、寛永10年(1633)に、幕府巡検使として、近江大溝二万石の領主である分部左京亮光信(わけべさきょうのすけみつのぶ)がこの辺りに来た史実があることから、分部左京亮の豪勢な行列が長く語り継がれるうちに、なぜか物悲しい伝説になったのではないかと書いています。

そのときの巡検使一行は、野辺地から横浜を経て田名部に入り、田名部からは、下田屋、小田野沢を経て、白糠、泊と南下して盛岡に向かいました。左京沼は下田屋と小田野沢の間にあります。

左京沼

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