むつ市田名部に鎮座する田名部神社です。
当神社の由来について、森勇男著「霊場恐山と下北の民俗」から紹介します。
「郷社田名部神社は、もと示現太郎大明神といって、旧城の東門にあった。のち明神町の八幡宮の地に移されたもので、高彦根命(神社ホームページには昧耜高彦根命=あじしきたかひこねのみこと)を祀っている。社伝によれば、初代小笠原某は甲斐国の人で、のち、小笠原出雲なる人が、宇都宮に鎮座する国幣中社二荒山神社の分霊を戴いて守護したといわれている。」
田名部神社の祭礼、田名部まつりは江戸時代から続く伝統あるお祭りです。寛永5年(1793)に田名部に滞在していた紀行家の菅江真澄が田名部まつりを記録しています。
以下、引用部分は、東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 牧の朝露 寛政五年七月の日記より
「十八日 夜明けから、きょうの神楽の準備をして、しめなわをひきわたし、浦々村々から奉った燈籠をかざり、神前を清らかにして、たくさんの机のようなものに小さい神輿を奉ってある。尊厳な神である柿本の神霊をうつし祭ってあがめ奉ることは知られているが、ただ正一位大明神とだけいっているのは、何か秘事があるのだろうか。(中略)
十九日 さきばらいの声で道路の人をはらいながら、祭の行列がおごそかにねりあるき通り過ぎた。山車にはそれぞれの人形をつくってのせて、紅白のまんまくを引き、四つの車輪をとどろかせ、笛太鼓ではやして、そのあとにみこしが出てきた。こうして一日中じゅう、はやしたてねりあるいていく行列に、信心ぶかい家の主人は土に塩をまき、おみき徳利に酒をついで、神前に高くささげ出て、みこしを拝み、ぬかずいていた。
日が暮れると例の燈籠を軒ごとにかけて、道のここかしこに山車をとめると、まだ暑さがあるうちは盆踊ものこっているのだといって、太鼓をうち、男は女に変装し、女は男の姿をまねて、とりどりに声をあげ、たわむれ踊っている。連日の踊もきょうが最後だと思うのだろう、声をはりあげて「そろうたそろうた稲の出穂よりなおそろた」とうたっている。」
この祭りは現在も8月18日~20日に行われています。