小湊駅 青い森鉄道

小湊駅(こみなとえき)は、青森県平内町にある青い森鉄道青い森鉄道線の駅です。平内町の中心駅です。

駅舎

待合室。8月ですがストーブ設置。すぐに寒い日がきますからね。

待合室

跨線橋。

こ線橋

ホーム。案内板には、「夏泊半島」「夜越山森林公園」の表示があります。

ホーム

駅舎はJR時代のままですが、青い森鉄道のロゴが入った電車をみると、東北本線でなくなったことを実感します。

青い森鉄道線

駅前の記念撮影用看板。津軽三味線の名人、高橋竹山は小湊の生まれです。

顔出し看板

小湊臨海鉄道

日本鉄道会社が東北線の工事を始めたのは明治15年のことでした。明治24年9月に上野青森間が全通します。

そのとき、青森県工区の工事用資材は青森港ではなく小湊に陸揚げされました。浅所海岸に桟橋が設置され、浅所海岸から小湊駅までの約3キロに鉄道が敷設されました。

東北本線の工事が進む中で青森市では駅の場所についての争いがあり、それに嫌気した日本鉄道会社は、いっそのこと小湊駅を終着駅にしようという案を検討したそうです。鉄道が来なくなるというかもしれないという動きに青森市側は動揺し、急きょ駅の場所を決定したので小湊終着案は立ち消えになりました。

東北線の工事完了とともにこのときの臨港線は廃止されました。

これとは別に、太平洋戦争のさなかの昭和18年12月に、青森港にかわる北海道航路の起点として浅所が選定されて築港工事が始まりました。

翌19年、岸壁は未完成でしたが、陸奥湾港湾運送株式会社が函館と室蘭から石炭を運ぶ航路を開設しました。

太平洋戦争の終結後も、国内の物資輸送の必要から築港工事は進められ、昭和21年7月1日に仮桟橋が完成して函館航路が開設されました。

まもなく機帆船岸壁、貨車航送岸壁が完成し、小湊駅と清水川駅に向かう臨港線が敷設され、港の後背施設として浜子操車場、国鉄職員住宅団地が造成され、小湊は活況を呈しました。

ところが、昭和24年に運輸省は小湊港の使用中止を発表し、航路は全面停止、浅所桟橋駅も閉鎖、臨港線も休止されました。以来港湾地帯は国鉄が所有したまま20余年放置され、昭和48年に町に払い下げられました。


清水川駅 - 小湊駅 - 西平内駅

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