三戸町に行って会津藩ゆかりの石碑を巡ってきました

三戸町に行って会津藩関連の石碑を巡ってきました。2024年2月18日、弘前駅を7時25分に出発し、八戸駅で途中下車し、三戸駅到着は11時36分でした。

三戸駅

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名称は三戸駅ですが、駅の所在地は三戸町ではなく南部町です。

駅前から南部バス田子行に乗って中心街に向かい、三戸郵便局前で降りました。停留所のそばにユニバース三戸八日町店があります。

白虎隊の墓碑がある観福寺はユニバースの裏手にあります。

観福寺の山門です。三戸城趾近くにあった南部藩三戸代官所の門を移築したと案内板に書いてありました。

観福寺山門

墓碑は山門を入って右手にありました。

建立したのは三戸に移住した旧会津藩士の大竹秀蔵です。石碑正面に白虎隊士17名の氏名が刻まれ、続いて「忠烈古今稀ナリ白虎隊ノ英魂ヲ弔ハン」と刻まれています。左側面には「明治四年未正月拾参日」とあります。

白虎隊は、戊辰戦争にあたって会津藩が組織した年齢別部隊の一つで、16歳17歳の少年で組織され、士中一番隊、士中二番隊、寄合一番隊、寄合二番隊、足軽一番隊、足軽二番隊がありました。飯盛山で切腹した20人の少年は士中二番隊に属していました。

観福寺

次に、悟真寺に向かいました。悟真寺は三戸大神宮の参道下です。ここには明治27年8月23日に建立された「会津藩士戊辰殉難者招魂碑」があります。

悟真寺山門
悟真寺

山門を入ってすぐ右手にたっている招魂碑です。題字は斗南藩主松平容大(かたはる)、撰は旧会津藩士の南摩綱紀、書は同じく旧会津藩士の渡部虎次郎によるものです。

招魂碑

次に、三戸大神宮に向かいました。

三戸大神宮参道

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三戸大神宮の社殿に向かって左手前に、昭和51年建立の「会津藩殉難者無縁塔」と明治19年建立の「杉浦凱先生之墓」があります。杉浦先生は会津藩校日新館で教えていましたが、戊辰戦争後の明治3年に三戸に移住し翌4年に没しました。墓は沖津醇、渡部虎次郎らの門下生によって建立されました。


このあと、三戸駅発14時48分の電車に乗って大湊に向かい、大湊駅前の大湊ベーカリーに立ち寄り、次の上りで野辺地駅に戻り、弘前駅到着は19時50分でした。

大湊線から陸奥湾の夕日

あおもりホリデーパスを利用しました。


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