古懸のお不動様にお参りしたとき、碇ヶ関の碇ヶ関温泉会館のお湯に入ってきました。無色透明の単純泉、きれいな温泉施設です。
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道の駅いかりがせきから大館方面に少し走り最初の信号を左折、橋を渡って少し行って学校前で右折するとこの建物が見えます。
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または、新しやさんの角を入って三笠橋を渡るとすぐです。
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碇ヶ関駅には「御関所といで湯の碇ヶ関」と書かれた案内看板があります。ところが、私の知る限りでも、柴田旅館、かんぽの宿、あずましの宿関の湯、あめりかや旅館など、多くの温泉旅館が廃業してしまいました。現在も営業されている旅館があるかもしれませんが、少なくともネットで検索してもでてきません。碇ヶ関温泉で検索して出てくるのは県境に近い温泉だけです。また、日帰り温泉施設も、この碇ヶ関温泉会館と道の駅にある関の庄、あと、少し離れた古懸コミュニティ浴場だけのようです。「いで湯の里」としては寂しい気がしますが、今残っている温泉施設が続いてくれるように願うばかりです。
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【追記】
碇ヶ関温泉会館から平川にでると、旧柴田旅館前の川原に「吉田松陰入浴の地」という案内柱がたっています。碇ヶ関出身の人に聞いたところ、この場所にはかつて露天の共同浴場があったと言っていました。
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また、平川の対岸には「上ノ湯温泉跡」という石碑がたっています。
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この石碑がたっている川沿いには、昔、多くの湯治宿が並び、熱の湯(下の湯)、冷えの湯(上の湯)、中の湯があったそうです。旧あめりかや旅館もこの石碑の近くでした。
少し下流側に大湯温泉之跡の石碑があります。大湯は下の湯です。
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昭和41年の平川大洪水で大湯温泉会館が被災したので仲町に移転新築したと刻んであります。
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