先人記念館 三沢市

先人記念館に行ってきました。道の駅みさわ斗南藩記念館観光村の施設の1つです。「先人」というのは明治時代にこの地に日本初の洋式牧場を開いた会津藩士廣澤安任(ひろさわやすとう)のことです。

広沢牧場が昭和60年に閉鎖されたときに土地の一部や史料などが三沢市に寄贈されました。市は寄贈をうけて平成7年に斗南藩記念観光村を開設しました。

先人記念館

展示室の一部です。

展示室

印象深かった展示物をいくつか紹介します。1つは陸奥運河です。実現しませんでしたが明治時代にむつ湾と太平洋を結ぶ運河の構想がありました。廣澤安任も構想推進に関与していました。この図(運河線予測図)には「陸奥運河舩渠株式会社」とあります。すでに会社もつくっていたのでしょうか。舩渠は船渠(せんきょ)で、ドック(船の建造、修理のための施設)のことです。

運河線予測図

松平容大(かたはる)の書が展示されていました。氏は会津藩主松平容保(かたもり)の子で戊辰戦争後に生まれ、0歳から2歳まで会津藩が移封された斗南(となみ)藩の藩主の座にありました。後に陸軍大尉、貴族院議員をつとめられました。廣澤安任は斗南藩においては少参事(家老級の役職)を務めていました。

松平容大書

先人記念館二階展望室からの写真です。斗南藩記念観光村は平成12年に道の駅登録を受けました。正面奥の建物は道の駅の中心施設である「くれ馬パーク」です。産直販売コーナーやレストランなどが入っています。

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道の駅みさわ

廣澤安任が明治5年に拓いた牧場(開牧社)は、当初の苦労の連続を乗り切って開業5年を経過した頃から徐々に軌道に乗り始め、その後、牛馬の品種改良、農具の開発、乳製品の製造販売までを一貫して行う日本の先駆的牧場に発展しました。明治19年、開牧社の経営が安定したと判断した安任は、後継者に牧場の経営をまかせ、自らは東京に移住して、現在の新宿伊勢丹付近に牧場を開設して牛を飼い、牛乳やバターなどの乳製品の製造販売を始めました。初老に入っても事業意欲に満ち溢れて活動していた安任でしたが、残念ながら明治24年にインフルエンザに罹り急逝しました。道半ばの62歳でした。

先人記念館には以前一度入ったことがあったのですが、時間がなくてざっと見ただけでした。紙の史料が多いので一つ一つみているととても時間がかかります。今回はわりと時間があったのでゆっくり見ることができました。

下は先人記念館の公式ページへのリンクです。

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