野内(現青森市野内)の奥州街道沿いに弘前藩の番所がありました。
貴船川の近くです。「野内番所跡」という説明板が設置されています。
「青森市の歴史」より
「津軽でも津軽三関として碇ヶ関、大間越、野内の三か所に口留番所を設けている。野内口留番所は、野内集落の東側龍ノ口川(現貴船川)の西側に置かれ、三重の構えになっていた。
そのようすを松浦武四郎は「東奥沿海日誌」の中に
「村はづれの番所は、槍や棒などを飾り、柵をめぐらして厳重に構えている。奉行は一人であり(後略)」
と記録している。
享保二年(一七一七)から六年までの月平均片道通行者の人数は、約100人である。一日にすると三人前後と、今から考えるといかに多領へ旅する人がすくなかったかが分かる。」
青森市史編さん委員会 1989年1月15日発行より引用
上記の「青森市の歴史」に掲載された図では、野内番所は奥州街道を挟んで、海側に弘前藩の番所、山側に黒石藩の「采女様屋敷」があります。黒石藩の役人も駐在していたようです。
馬門番所(南部藩)-藩境塚-狩場沢番所(黒石藩)-土屋番所(黒石藩)-野内番所(弘前藩)
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