大浦城址は、弘前市の旧岩木町賀田(よした)にあります。
津軽中学校が大浦城の二の丸にあたるとのことですが、城跡らしい痕跡はありません。近くのリンゴ園に土塁の跡がわずかに残っている程度です。
大浦城は、後に津軽氏を名乗る大浦氏の居城で、大浦氏は、種里城(鰺ヶ沢町)からこの城に居城を移したといわれています。その後、大浦為信(後の津軽為信)の代になって、津軽平野の堀越城(弘前市堀越)に移り、堀越城を拠点に大暴れし、津軽の支配を固めていきました。
1611年、二代目藩主津軽信枚(のぶひら)のときに、堀越城から弘前城に移りました。
江戸時代の紀行家菅江真澄も大浦城址に立ち寄っています。
菅江真澄 津軽の奥(四)より
「むかし、この国の守が住んでおられた城の跡といって、築地(土手)のように芝生を盛りたてたところは、雪がまだらに消えていた。農夫の言うことには、むかし馬屋のあったあたりは、今も農作物がよくできるそうである。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(一七九六年)三月一日の日記より引用
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