十和田神社に参拝してきました。休屋の北側にあります。乙女の像からすぐです。
神社の周辺はうっそうとした森になっています。
十和田神社からさらに登っていくと、湖に向かって絶壁となっているところがあり、占場(うらないば)といいます。鉄ハシゴを降りるのですが、なかなかスリルがあります。下まで降りると「占い」ができます。今回は行きませんでした。
十和田神社は、かつては青龍権現、熊野権現と呼ばれる神仏習合の霊場でした。明治の廃仏毀釈の影響を受けて仏教色を廃し、十和田神社になりました。
南祖坊伝説
十和田湖伝説の一つです。
修行僧の南祖坊(なんそぼう)は、熊野権現の導きで十和田湖にやってきました。十和田湖には、すでに八郎太郎という大蛇が湖の主として住みついていましたが、南祖坊は八郎太郎と戦って追い出しました。敗れた八郎太郎は秋田の八郎潟へ移り、南祖坊は十和田湖の主になりました。
菅江真澄
江戸時代の紀行家菅江真澄も詣でています。
菅江真澄 十曲湖(とわのうみ)より
「休屋といって、大勢の人が参詣にのぼる夏のころ、着の身着のままでごろ寝をしたり、あるいは物忌みにこもる建物がある。屋根は厚いわり板葺きで、壁の代りにやすの大木の皮をはり、部屋も広々とつくられたのが、三棟、四棟ばかり草のなかに並んでいた。細い流れを解除(はらい)川といい、ここで手を洗い、口をすすいで、身も清浄になった。五戸、七戸からの道がある。それぞれの道の入り口には、くろ木で作った鳥居が数もしれないほど立ち重なっている。手前の、杉が群がったところにある数々の鳥居からはいり、ならびたつ杉の下路を通ってゆくと、堂がある。青竜大権現という額がかかっている。この社の後に、六つの小さな祠があり、六柱の御神をまつっている。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記4 文化4年(1807)8月29日の日記より引用