櫓(やぐら)とは
櫓は城郭の周辺を見張る監視所であり、接近した敵を攻撃するための防御施設です。弘前城には3つの櫓が現存しています。
防弾や防火のために白漆喰塗の土蔵造りになっていて、矢狭間(やざま)・鉄砲狭間(てっぽうはざま)・石落しなどがついています。屋根は入母屋で銅板葺です。
城郭の角に設置された櫓を隅櫓(すみやぐら)といいます。弘前城に残る櫓は隅櫓です。江戸時代初期の建造物で、いずれも国の重要文化財に指定されています。
辰巳櫓 (たつみやぐら)
追手門から入り、杉の大橋を渡って南内門をくぐり、右方向の突き当りにあります。
櫓の名前は、天守から見た方角を十二支で示したものです。辰巳は南東に当たります。
未申櫓 (ひつじさるやぐら)
追手門から入り、杉の大橋を渡って南内門をくぐり、左方向の突き当りにあります。本丸へは右方向なので未申櫓に気づかずに通り過ぎている人も多いと思います。
櫓の名前は、天守から見た方角を十二支で示したもので、未申は南西に当たります。
丑寅櫓 (うしとらやぐら)
亀甲門(北門)から入り、本丸方向に上っていき中濠のところまでくると左手に丑寅櫓が見えます。
櫓の名前は、天守から見た方角を十二支で示したもので、丑寅は北東に当たります。
本丸未申櫓跡
本丸の北西の隅に、未申櫓(ひつじさるのやぐら)の跡があります。
築城当時はこの場所に五層の天守がありました。しかしこの天守は寛永4年に焼失してしまいます。天守の再建が認められなかったためここには櫓が建てられました。その後、文化8年になって本丸の南東にある隅櫓を改築して天守としました。
本丸戌亥櫓跡
本丸の北西にあった戌亥櫓(いぬいのやぐら)の跡です。東屋が建っています。
西の郭未申櫓跡
西の郭(くるわ)に未申櫓(ひつじさるのやぐら)がありました。
工業高校口を入るとすぐ左側に跡地があります。
北の郭子櫓跡
北の郭(きたのくるわ)の北東隅にあった子櫓(ねのやぐら)の跡です。展望台になっています。子櫓は廃藩後も残っていましたが明治39年に花火の不始末で焼失してしまいました。
石段の一部と思われます。
礎石です。二の丸に残る櫓と同規模の櫓が建っていました。
櫓に続く土塁です。
櫓跡からみる北の郭です。
目次のページ>青森県内の城跡や館跡>弘前城>このページ