盛岡藩の五戸(ごのへ)代官所は、寛永12年(1635)頃に設置され、明治2年に廃止されるまで続きました。
代官所復元建物の前に設置された説明板には、五戸代官所が三戸郡と北郡合わせて28ヶ村の「五戸通」を管轄していたことが記されています。
「通(とおり)」というのは、代官所の管轄地域をあらわす用語です。五戸代官所の支配地は五戸通と称されました。
この建物は、他の代官所の図面などを基に復元されたものです。
門は、文久年間(1861~1864)の建築と推定されるもので、補修を加えていますが、全体として建築当時の姿をとどめているそうです。
明治3年(1870)、幕末の戊辰戦争で敗北した会津藩の後継藩である斗南藩が、初期の3ヶ月間、五戸代官所の建物を藩庁として使用しました。
五戸町の、歴史みらいパークという公園の中にあります。
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