菅江真澄

「津軽のつと」をたどる

津軽のつとについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「津軽のつと」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政10年(1798)の旅です。菅江真澄は平内の童子村に滞在し、小湊に移動しています。正月の風習についての記述が中心です。文中の日付は旧暦です。...
菅江真澄

「津軽のをち」をたどる

津軽のをちについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「津軽のをち」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政9年(1797)の旅です。菅江真澄は深浦に滞在しています。弘前に行きますが、体調が悪くなって寝込んでしまいます。文中の日付は旧暦です。なお、...
菅江真澄

「雪のもろ滝」をたどる

雪のもろ滝について江戸時代の紀行家菅江真澄の「雪のもろ滝」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政8年(1796)の旅です。深浦から岩木山の山麓をまわり、暗門の滝に向かいます。再び深浦に戻って滞在します。文中の日付は旧暦です。なお、日記が...
菅江真澄

「外浜奇勝(一)(二)」をたどる

外浜奇勝(一)(二)について江戸時代の紀行家菅江真澄の「外浜奇勝(一)(二)」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政8年(1796)の旅です。菅江真澄は弘前を出て津軽半島を北上し十三湖を経て小泊村に入ります。さらに、木造を経て鰺ヶ沢に入...
菅江真澄

「津軽の奥」をたどる

津軽の奥について江戸時代の紀行家菅江真澄の「津軽の奥」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政7年(1795)の旅です。真澄は、津軽に入り、小湊、浅虫、青森を経て弘前に行きます。翌年の正月は小湊にいます。その後弘前に滞在して岩木山に登りま...
菅江真澄

「奥のてぶり」をたどる

奥のてぶりについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「奥のてぶり」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政6年(1794)の旅です。田名部で二度目の正月を過ごします。恐山に登り杣小屋に泊まります。文中の日付は旧暦です。なお、日記が始まる寛政6年1...
菅江真澄

「おぶちの牧」をたどる

おぶちの牧江戸時代の紀行家菅江真澄の「おぶちの牧」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。田名部を出て太平洋岸に至り、南下して、白糠、泊、尾駁に行きます。野辺地に行こうと思いますが道が雪に閉ざされているので、来た...
菅江真澄

「牧の朝露」をたどる

牧の朝露について江戸時代の紀行家菅江真澄の「牧の朝露」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。田名部に滞在しています。近く田名部を出発しようと思い親しい人に別れを告げるために大畑に向います。さらに、下風呂、易國間...
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「奥の浦うら」をたどる

奥の浦うらについて江戸時代の紀行家菅江真澄の「奥の浦うら」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政5年(1793)の旅です。菅江真澄遊覧記では「奥の浦うら」の前は「牧の冬枯」ですが、間に「えぞがいわわや」という日記があるそうです。日記その...