歴史

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青函連絡船の歴史

はじめに私は青函連絡船が運行していたときに青森市に住んでいたことがあるので、青函連絡船には特別の思い入れがあります。深夜や早朝にも響き渡る汽笛の音、広い桟橋待合室、出発の時のドラの音。大型船舶による定期航路ならではの情緒のある風景でした。青...
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青森県内の文化財

文化財名称、住所、所有者(管理者)の順です。リンク先は当サイト内の記事です。重要文化財(建造物)1 最勝院五重塔 弘前市銅屋町 最勝院関連記事:卯年の一代様 最勝院2 岩木山神社楼門 弘前市百沢字寺沢 岩木山神社関連記事:岩木山神社3 岩木...
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津軽藩の蝦夷地警備

蝦夷地警備1647年(三代将軍徳川家光公の時代)にロシアが大陸の端まで到達しました。これ以後、日本はロシアからしばしば北方の領土を脅かされることになります。1792年(寛政4年)ロシアの使節、アダム・ラックスマンが、難破してロシアに渡ってい...
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津軽にきた黒船

三方を海に囲まれた青森県は、江戸時代中期から幕末にかけて外国船が沿岸にしばしば目撃され、そのなかには上陸してきた外国人もいました。外国人との接触が許されていない時代だったので、この招かれざる客に、各藩は対応に苦慮したようです。以下、弘前藩領...
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明治九年のジオラマ 五戸町

明治九年、明治天皇陛下が東北御巡幸のおり、五戸で休憩されたときのことです。御用掛近藤芳樹氏の日記に以下のような記載があります。「広さ七間ばかり奥の入り四間ばかりもあらんか八戸雪中の図を作りたり。坊の家々を始め神社仏閣更に山も野も川も、あるい...
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南部と津軽

はじめに青森県の青森市と弘前市、五所川原市を含む西側半分を津軽地方といいます。八戸市と十和田市、むつ市を含む東側半分を南部地方といいます。津軽というのは弘前を居城とした津軽氏の津軽です。南部というのは盛岡を居城とした南部氏の南部です。青森県...
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津軽地方の津軽氏

津軽藩の藩祖となった津軽為信は、津軽全体に勢力を拡大するまでは大浦為信と名乗っていました。大浦氏が津軽氏になったのは、京都の近衛家の猶子になって藤原の姓と杏葉の紋所の使用を認められたときからだといわれています。この時期に、豊臣政権からの文書...
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斗南藩の誕生と消滅

会津藩の処分斗南(となみ)藩は、戊辰戦争の敗者である会津藩が、敗戦処分により大幅に減禄の上、転封されたことにより創設された藩です。政府は、明治2年11月4日に会津松平家の家督を松平慶三郎容大が相続することを認めました。ただし、会津藩の領地は...
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南部地方の南部氏

青森県の東側を南部地方といいます。青い森鉄道で言えば、青森駅を出て狩場沢駅までが津軽地方、野辺地駅から先が南部地方です。現在の青森県が成立してから江戸時代に盛岡に本拠をおいた南部氏の領地であった範囲を、南部(地方)と呼ぶようになりました。県...