カテゴリー: 歴史
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南部と津軽
青森県の青森市と弘前市、五所川原市を含む西側半分を津軽地方といいます。八戸市と十和田市、むつ市を含む東側半分を南部地方といいます。 津軽というのは弘前を居城とした津軽氏の津軽です。南部というのは盛岡を居城とした南部氏の南 […]
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津軽の津軽氏
津軽藩の藩祖となった津軽為信は、津軽全体に勢力を拡大するまでは大浦為信と名乗っていました。 大浦氏が津軽氏になったのは、京都の近衛家の猶子になって藤原の姓と杏葉の紋所の使用を認められたときからだといわれています。この時期 […]
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斗南藩の誕生と消滅
会津藩の処分 斗南(となみ)藩は、戊辰戦争の敗者である会津藩が、敗戦処分により大幅に減禄の上、転封されたことにより創設された藩です。 政府は、明治2年11月4日に会津松平家の家督を松平慶三郎容大が相続することを認めました […]
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南部の南部氏
三戸南部 八戸市に長者山新羅神社という神社があります。前九年の役、後三年の役のころの武将、八幡太郎源義家の弟、新羅三郎源義光を祀っている神社です。 この源義光が甲斐の国、今の山梨県の辺りに所領を持ち、その子孫は引き続いて […]
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青森県内の旧街道
江戸時代の街道 江戸時代は全国的に幹線道路が整備されていました。 まず五街道があります。 五街道は幕府直轄の道路で、東海道、中仙道、日光道中、奥州道中、甲州道中の5つです。 五街道に準じる道路は脇街道と呼ばれました。 街 […]
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青森県の縄文時代
今の青森県地方には多くの縄文人が住んでいました。現在の青森県地域のほとんどの地域に縄文遺跡が残っています。 今から約1万1000前に氷河期が終わり温暖化が始まりました。それに伴って海水面が上昇し、今の日本列島が形成された […]
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津軽の安東氏
安東氏の出自 青森県の歴史においては、江戸時代の大名である南部氏と津軽氏が注目されますが、南部と津軽に先行して安東氏という土着の豪族がいたことを省略するわけにはいきません。 平泉の藤原氏が滅亡してから、津軽地方を支配した […]
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津軽の工藤氏
鎌倉の御家人である工藤一族の工藤行光は、源頼朝に従って平泉の藤原氏を攻め、その功績により今の盛岡付近に領地を得ました。 その後、一族の工藤祐貞が根城南部氏に貢献し、今の黒石市付近に領地を得ました。工藤氏の館は境松駅から少 […]
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津軽の曽我氏
鎌倉幕府を開いた源頼朝が平泉の藤原氏を亡ぼし、藤原氏の支配地域でった今の東北地方に配下の御家人を送りみました。 その後、幕府のなかで主導権争いがあり、北条氏が勢力を広げ、握る過程で、現在の青森県地方は北条氏の領地になりま […]