弘前偕行社(かいこうしゃ)は、弘前に置かれた陸軍第八師団の将校らの親睦・厚生施設として明治40年11月に竣工しました。堀江佐吉の最後の作品です。
門柱、レンガ塀も往時のものです。
正面玄関です。利用者や見学者は左手にある管理棟から入ります。
玄関ポーチの上部についている金属の飾りは「蜂」です。「蜂」は「八」にかけた遊び心だと考えられています。ちなみに、第八師団の通称は蜂ではなく「杉」、杉師団です。
内部の写真です。
貸会議室などとして借りることができます。
東京の偕行社は明治10年に陸軍士官集会所として設立され、明治13年に東京九段の靖国神社前に社屋が完成しました。以降各地の師団所在地に偕行社が設立されました。第八師団があった弘前もその一つです。戦後、各地の偕行社は解散し、所有する土地建物は国有地に編入され、その後多くが民間に払い下げられました。弘前偕行社は、弘前女子厚生学院(現弘前厚生学院)に払い下げられ、厚生学院の校舎や「みどり保育園」の園舎として利用されてきました。
旧偕行社の庭は「遑止園(こうしえん)」といいます。大正天皇が皇太子のときにお泊りになって命名した園名です。この名称はあまり使われていないと思います。私もこの場所を言うときには単に「偕行社の庭」と言っています。
パンフレットによれば、偕行社があるこの一帯は、藩政時代には、弘前藩九代藩主津軽寧親の別邸「富田御屋鋪」の跡とのことです。
だいぶ老朽化していたのでいずれ無くなるかもしれないと漠然と思っていましたが、重要文化財に指定され、保存工事をへて重厚な建物によみがえりました。
正面玄関から右手に少しはいると土塁のようなものが見えます。これは藩主別邸だったころの名残かもしれません。
なお、海軍には偕行社に相当する組織として「水交社」がありました。県内だと大湊の海上自衛隊敷地に石造りの重厚な建物が残っており、大湊地方隊の史料館「北洋館」として公開されています。
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