弘前市三世寺(さんぜじ)に鎮座する神明宮に参拝してきました。
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神明宮の境内は、中世の館跡である三世寺館の一部だと考えられているそうです。
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この辺りは掘割の跡かもしれません。
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弘前市ホームページの市指定文化財三世寺板碑群のページには以下のような説明が掲載されています。神明宮の案内板にも同様の記載があります。
「三世寺一帯は、鎌倉時代は鼻和郡尻引郷(しりひきごう)であり、藤崎安藤氏の領地であった。そしてこの地には、天台宗三世寺が独立丘陵に館を構えていた。同寺の大檀那は安藤氏で別当は熊野修験であり、したがって館は修験館である。
神明宮はこの館跡に位置し、境内に7基の板碑がまとまってあるが、もとは付近一帯に散在していたものである。7基とも安山岩に種子を刻み、5基は鎌倉時代末期から南北朝中期までの紀年号を有している」
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