2012年1月21日
今年は辰年なので、辰巳の一代様である橋雲寺に参拝に行ってきました。
愛宕山という山号額の横に愛宕神社の社額。
神馬も雪にうもれ首だけ出しています。
この上が愛宕権現様です。除雪はされているのですがちょっと不安だったので、今回はここで引き返しました。
本堂の裏手です。手前のお堂は天満宮です。
2011年7月23日
愛宕山橋雲寺(あたごさんきょううんじ)は、弘前市の愛宕にあるお寺です。
山門です。
橋雲寺の本堂です。
本堂の右横の護摩堂です。明治天皇が明治14年に弘前に御巡幸されたときの宿泊施設(行在所)を、建物所有者の武田氏から寄進を受けて護摩堂にしたものです。
鐘撞堂です。
天満宮です。
やや長い石段を上って行きます。
参道横の杉の巨木です。
山頂にある愛宕権現のお堂です。祀られている本尊勝軍地蔵尊は普賢菩薩の生まれ変わりとされ、津軽地方の辰巳(たつ・み)年の一代様です。一代様というのは、生まれ年の干支によって決められた守り本尊様のことです。勝軍地蔵には戦勝祈願、火難除けのご利益が期待されています。
江戸時代の紀行家菅江真澄も詣でています。
菅江真澄 外浜奇勝より
「愛宕の社に詣でたいと思い、また、ほととぎすも聞きたいものだと、弘前にでて、岩木川をわたり、熊島、高屋などを過ぎていった。すっかり植えわたした遠方の田や、いま田植えの最中の田などを眺めながら、八幡を経て、植田に入った。やがて愛宕山にはるばるとのぼった。坂のかたわらにある橋雲寺を新たに造りかえるというので、山の大杉などを伐りたおしている(中略)堂にむかって左に理源大師の堂、右に稲荷の祠が建てられてあり、元禄年間の石灯籠があった。いまから百年のむかしに、この堂も寺も建てたのだと人が説明してくれた。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政十年(一七九八年)五月十日の日記より引用
下の常夜灯は、石だけでなく金属やガラスも使って近代的です。
参道には「津軽十景之一」という表示がありました。