川部(かわべ)駅は田舎館村にある奥羽線と五能線の駅です。かつては黒石線(平成10年廃止)の駅でもありました。
五能線の列車は弘前駅を出発して川部駅から五能線に入ります。
ホームからみた駅舎です。
跨線橋を渡って駅舎に行きます。
駅舎正面です。平成22年、三浦春馬さん、吉幾三さんらによる、JR東日本東北新幹線新青森開業のCM撮影が行われました。
駅舎玄関に建物財産標が貼ってあります。明27年10月とあります。奥羽線の青森駅 ・ 弘前駅間が開業したのは明治27年(1894)でした。この駅は改築の記録がないそうなので、修繕・改装を繰り返しながらもほぼ開業時の原型を保っているものと思います。
跨線橋の形が特徴的です。跨線橋下部の端が斜めになっています。電化の際に高さ不足を解消するために吊り上げたなごりです。
中はこのように階段を追加しました。
跨線橋は古いレールを再利用した構造になっています。イギリスから輸入して敷設した開業時のレールも含まれているそうです。
駅前です。
最盛期の川部駅の様子
(田舎館村史から抜粋)
川部駅の正面に旅館が並んでいた。津北ホテルは三階建てだった。阿部旅館は一階が食堂、二階が客室、軒先で大きな穴のあいた煎餅を売っていた。工藤旅館には理容部があった。喜楽というあいまい宿もあった。駅前商店街には、そば屋、たばこ屋、餅屋、下駄屋、りんご屋、靴屋、むしろ屋、郵便局、産婆、運送屋などが軒を並べていた。
(続あおもり鉄道物語 朝日新聞青森支局編 北の街社刊から抜粋)
川部駅は、昭和30年代から40年代にかけて、貨物の中継駅として栄えた。五所川原や黒石方面からりんごや米を積んだ貨車が入ってきて、それを行先別に編成して東京や大阪方面に送り出す。駅員は90人を超え、引き込み線を合わせて16本の線路に毎晩150両くらいの貨車が翌朝に備えて待機していた。昭和40年代に入ってから輸送の主力はトラックになり、昭和50年代初めには駅員の数が最盛期の半分になっていた。昭和61年に貨物取り扱いを廃止した。
五能線 藤崎駅 – 川部駅
現在の駅舎:川部駅