むつ市から国道338号線を脇野沢方面に走り、川内を過ぎてまもなく宿野部(しゅくのべ)という集落があります。
宿野部川にかかる宿野部橋を渡ってすぐのところです。右側に社標が立っています。
金七五三と書いて「かなしめ」と読みます。
社標の場所から最初の鳥居が見えます。
二つ目の鳥居。
三つ目の鳥居。
境内に小さな社が並んでいます。
社殿に向かって右側には山神社。
社殿です。
江戸時代の紀行家菅江真澄が寛政5年(1793)5月1日に宿野部を通過していますが、金七五三神社のことは書いていません。宿野部を過ぎて、葛沢を通過して川内にきたとき、川内川を「さかのぼると銀杏木という山里があって、金七五三明神という古い御社が」と書いています。当時は、銀杏木にあったのでしょう。
銀杏木という集落のはずれにある大イチョウの案内板に、このイチョウに金色のしめ縄が掛ったので金七五三神社が請されたと書いてあります。