善知鳥崎は青森市久栗坂と浅虫の境にある岬です。
久栗坂と浅虫を結ぶ「善知鳥トンネル」です。トンネルに向かって右側が善知鳥崎の先端部です。
工事銘板によれば竣工は1980年。
このトンネルは、元東北本線のトンネル「久栗坂隧道」を、改築して造ったものです。前の国道トンネルは、浅虫側から見てトンネルの左手に残っています。閉鎖されているので柵がみえます。旧「善知鳥前隧道」です。
岬へ向かうトンネル脇に古戦場を示す小さな石碑がたっています。1190年(文治6年)に、平泉藤原氏側の豪族大河兼任と源頼朝配下の鎌倉軍が、ここ善知鳥前の梯(うとうまえのかけはし)で戦ったといわれています。
「青森市の歴史」より
「吾妻鏡は、鎌倉時代の歴史を記録した史書であるが、文治六年(1190)」の項に次のように記されている。
「外ヶ浜と糠之部の間にある有多宇末井の梯(うとうまいのかけはし)において、ここの自然の山を以って城郭とし、兼任がたてこもり体制をたてなおしている。という知らせがあった。」
鎌倉幕府を相手に、主家藤原(平泉)の再興を謀った大河兼任の乱のとき、有多宇末井の一帯が、兼任軍の根拠地であり、また最後の防衛戦地であった。」
青森市史編さん委員会 1989年1月15日発行より引用
下の道は善知鳥崎へ向かう小道です。
善知鳥崎の山側に「明治天皇御休所御跡」の記念碑がたっています。
これが善知鳥崎の先端です。
上は切りたった崖になっています。
善知鳥崎から右手には、湯の島と浅虫温泉がみえます。
さらに進むと護岸工事の跡が残っています。善知鳥崎の先端をまわり込む道路の護岸のようです。
善知鳥崎付近は車を停めるスペースが小さく、付近の交通量も多いので、近くに車を停めて見学するのは難しいです。浅虫温泉に車を置いて歩いて近づくのがよいでしょう。
菅江真澄 外が浜づたひより
「道は、山路があってそこを馬がかよい、また浜辺の道もあって人が磯をつたって歩いている。うとうまえのかけ橋をわたった。この国の人はみな、とうまえのかけはしとよんでいる。岸から高い岩のうえに、六尺ほどの板をわたしてあり、いかにもあぶなそうである。ふりあおぐと、木々のなかにあきつが窟(いわや)といって、むかし蝦夷人がこもって、行きかう船をおそって財宝をうばったという岩窟がある。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記2 天明八年(一七八八年)七月七日の日記より引用
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