ほたて広場に「土屋御番所由来」と書いた案内板がたっています。
土屋番所は、奥州街道の土屋に黒石津軽藩が設置した番所です。
「この土屋御番所は、明暦二年(一六五六)に、黒石藩初代藩主津軽十郎左衛門信英が領地境界警備のため、黒石藩平内領の西口に設置した口留番所であったが、明治維新となり境界警備の必要がなくなったため明治二年六月に廃止となった。」
津軽氏を領主とする藩は、弘前藩と黒石藩があり、今の平内町の地域は、黒石藩の領地でした。土屋番所は、奥州街道沿いの、弘前藩と黒石藩の藩境に設置された黒石藩の関所です。
菅江真澄 外が浜づたひより
「この里(小湊)で関手形をもらい、小豆沢、藤沢、山口、中野という山村をへて、土屋の浦の関所で関手形を改められて、槲木(かしわぎ)峠を下った。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記2 天明八年(一七八八年)七月六日の日記より引用
土屋番所の場所ですが、
ほたて広場に掲示されている地図には、ほたて広場の西側に土屋番所跡を示すマークが入っています。敷地内の「ほたて供養塔」のある辺りです。
ところが、ほたて広場より少し西の方向にも土屋番所跡とされるところがあります。
これは、ほたて広場よりも浅虫寄りにある「土屋番所跡」というバス停です。
黒石町史に、「土屋番所は、浅虫の東隣りの鍵掛の海岸にあった。国道四号線のバス停「土屋番所跡」附近一帯である。」と記載されています。
土屋番所の場所については、いくつか説があるようです。
土屋番所を越えると、次は野内番所です。
馬門番所(南部藩)-藩境塚-狩場沢番所(黒石藩)-土屋番所(黒石藩)-野内番所(弘前藩)
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