浅虫から平内方面に走り、八大龍神宮を過ぎて最初の信号がある交差点(左折すると裸島)です。
ここの道路標識に「土屋鍵懸」と書いてあります。ここから先が平内町、土屋鍵懸(つちやかぎかけ)です。この先の「ほたて広場」も土屋鍵懸です。
土屋鍵懸は奥州街道の一部です。
菅江真澄がここにあった「かんかけの木」について書いています。
菅江真澄 津軽の奥(二)より
「板橋という山里をへて、しばらく来ると大道にでた。土屋の浦の景色のよい岡を超えるところに、かんかけがある≪鍵かけであろうか、神かけであろうか。この坂にきて木の枝の二股になったのを投げかけて、自分の恋する人の心はどうかという占いを行う。このかぎかけのやり方は陸奥、出羽に多い。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政七年(一七九五年)三月二十七日の日記より引用
この「かんかけ」が、鍵懸の地名由来と思われます。
その木があった旧奥州街道は、青い森鉄道(旧東北本線)のトンネルの上とも、国道四号線にある「土屋番所跡」バス停につながる山の上ともいわれています。はっきりした場所は不明のようです。
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