深浦町の御仮屋(おかりや)跡に行ってきました。藩主が深浦にきたときに滞在する建物があったので御仮屋跡と呼ばれていますが、奉行所があった場所なので奉行所跡でもあります。
私のようなよそ者は、深浦の海岸沿いの道を車で通ったり、駅から円覚寺あたりまで歩いたりすると、それだけで深浦の全体をみた気分になっていたのですが、もう一つ山の方にも深浦の町並みがあることを今回初めて知りました。岡町といいます。御仮屋跡は岡町にあります。下の町(浜町といいます)から岡町に行き方はいくつもあるようですが私が行った道を書いてみます。
深浦駅から左方向(円覚寺の方向)に行きます。歴史民俗資料館をすぎ、猿神鼻岩洞門をすぎると左手に階段があります。
けっこう上ります。途中で振り向けば深浦の町、正確には深浦の「浜町」が見えます。
階段をのぼりきったところにお寺が3軒ありました。周辺は民家がたて込んでいます。だいぶ息が切れましたが岡町についたようです。
お寺の前の道を少し行くと十字路があります。右に行きます。少し行くと次のような案内標柱がたっているところがあります。江戸時代の紀行家菅江真澄を物心両面で支援した若狭屋竹越里圭の家があったところです。竹越里圭は代々の豪商で深浦の名主年寄役をつとめ、俳人としても知られていた人でした。
菅江真澄 外浜奇勝(二)より
「岡にある竹越という問屋、里圭の家を出て港辺にゆき、その親戚の小浜某の家でしばらく語り合った。ここで行く先の案内などもねんごろに教えられて、旅の道すじについて、もとめる宿もまようことはなくなったと安心して、出発した。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(一七九六年)七月十七日の日記より引用
菅江真澄は津軽藩に疑惑を持たれ取り調べを受けたことで津軽での活動に限界を感じ、津軽を去って秋田に向かうことにしました。竹越里圭は自らのネットワークを活用して真澄を秋田の有力者、例えば能代の船問屋尾張屋伊藤氏などを紹介するとともに、一族の竹越貞易を秋田の土崎まで同行させて真澄の秋田行を全力で支援しました。
菅江真澄 雪の道奥雪の出羽路より
「津軽の竹越氏が、はるばるとこの土崎の浦まで国界を越えて送ってきてくれたが、きょう陸奥の深浦に帰っていった。たいそう名残り惜しい。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記4 享和元年(一八〇一年)十一月十六日の日記より引用
さらに少しくと床屋さんがあり、そこを左折して入っていきます。坂をのぼりきったところが御仮屋跡です。
見晴らしのよいところです。
帰りは車が通る道で浜町に戻りました。この道は旧大間越街道です。
暑い日だったのでくたくたになりましたが、なんとか御仮屋跡まで行ってきました。
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