弘前市兼平(かねひら)に鎮座する天満宮に参拝してきました。旧岩木町地区です。
天満宮は菅原道真(すがわらのみちざね)公を祀る神社です。菅原道真公は平安時代の貴族で、学者出身としては例がない右大臣に昇りましたが、無実の罪で大宰府に左遷されて数年後になくなりました。死後、怨霊として恐れられ北野天満宮に神としてまつられ、時代を経て学問の神様として崇敬されるようになりました。
兼平天満宮境内には市指定有形文化財の板碑があります。うち4基には鎌倉時代から南北朝期までの年号が刻まれているようです。
津軽地方には一代(いちだい)様という、自分の生まれ年の守り神を祀る社寺に参拝する信仰がありますが、兼平天満宮は卯(う=うさぎ)年生まれの一代様です。
兼平石
この近くで産出する板状の輝石安山岩は「兼平石」と呼ばれて古くからいろいろな用途に活用されてきました。津軽地方の古い石碑の多くは兼平石だといわれています。
江戸時代の紀行家菅江真澄は、兼平に来ていませんが、近くの如来瀬で兼平石のことを聞いて日記に書き残しています。
菅江真澄 津軽のをちより
「朝早く宿を出発した。むこうに金平(兼平)という村がみえる。そこから「かなひら石」といって、かんなでけずったように平で、面に虫くいのような模様のある石がでる。この国の人はこれをとって、井堰、やり水の橋としたり、園においたり、庭に敷いたりする。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政九年(一七九七年)五月十七日の日記より引用