鶴ヶ坂の保食(うけもち)神社に参拝してきました。江戸時代には惣染堂だったようです。
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「寛永15年(1638)、弘前藩3代藩主・津軽信義は家臣に命じ、南部藩領倉内村から牧司・倉内図書を招き津軽坂に牧場を造らせ、牧頭としてその経営にあたらせました。その際、村に馬頭観音を祀った惣染堂(そうぜんどう)を建立し、馬の守護神としたのが始まりとされ、その後、惣染宮、保食神社へと名前を変え、現在に至っています。」(青森市史第十巻社寺編より引用。同趣旨のことが境内の案内板に記載されていました。)
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保食神社の前は羽州街道でした。羽州街道は、大釈迦を過ぎると現在の国道7号よりも東寄りの山中を越えて神社の脇を通って鶴ヶ坂に出たそうです。街道の痕跡を見つけることはできませんでしたが、おそらくこの先に旧道がかくれているのだと思います。
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