鶴ヶ坂の戸建沢神社に参拝してきました。炭焼藤太伝説、金採掘伝説が伝わる神社です。鶴ヶ坂駅で降りて国道7号を新城駅方向に歩きます。支村(えだむら)バス停のあたりで右折して奥羽線の踏切を渡ります。
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けっこう急な坂道をのぼります。この道は電波塔がある鷹森山へ続く道です。
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坂を登りきると左手に社殿が建っています。鳥居の額には「支村氏子一同」とあります。住所は青森市鶴ヶ坂早稲田ですが、近くの支村集落の氏神様のようです。
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さらに道を進んだところにもう一つの戸建沢神社があるそうです。時間の関係で行きませんでしたが、奥のほうが古い神社で、今回参拝した方は比較的近年に建てられたようです。
炭焼藤太伝説
平泉藤原氏の一族で十三藤原氏の藤原頼秀が零落して山奥で炭焼きをしていたところ、都落ちしてきた福姫(摂政近衛基通の娘)を助けたことが縁で砂金を発見したという物語です。炭焼藤太こと藤原頼秀は砂金の経済力と近衛家の後ろ盾で家を復興させ、頼秀と福姫の子孫が津軽統一を果たした津軽氏だという伝説につながります。(炭焼藤太伝説の一つです。細部が異なるいろいろな物語があります)
福姫がこの地を立ち去るときに、黄金でできた鶏を岩穴の中に置いて岩戸を建て出て行ったので戸建沢という地名になったという伝説もあります。いずれも「ふるさとの伝説 川合勇太郎著 津軽書房」に掲載されています。
近くのたらポッキ温泉という日帰り温泉施設に掲示されている「鶴ヶ坂抄」には、炭焼き藤太が、傷ついた鶴が湯あみする温泉を発見し、浴効をみいだしたことにちなんで鶴の湯と呼び、地名も鶴ヶ坂と呼ばれるようになったという伝説が紹介されています。