大円寺の門前にたつ萩桂(はぎかつら)です。大円寺前の通りは旧羽州街道です。
大鰐町の史跡に指定されています。
江戸時代の紀行家菅江真澄が大日堂前の萩桂について書き残しています。
菅江真澄 外が浜風より
「大日堂の前でふりあおぐと、高さ二十間ばかりもある萩の大樹があり、里人は萩桂といっている。いわゆる木萩(こはぎ)であろうと、眼をとどめた」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記1 天明五年(1785年)八月二十一日の日記より引用
菅江真澄 すみかの山より
「川岸に萩桂という大木が一本たっている。なかなかめずらしいので、これを仰ぎみると、千年も経たかとみえる大槻と根もとがひとつになっているので、これを槻桂(つきかつら)ともいうとのことである。まことに世間にもないかわった木である。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政八年(1796年)五月十七日の日記より引用
菅江真澄が見た大木は昭和18年に落雷で倒れたと案内板に書いてあります。今の木は落雷前に採種育成されていたものを移植したものだそうです。
なお、菅江真澄が後に秋田の雄勝郡を歩いているときに、根元は萩で梢は栗という木をみて、このあたりでは珍しくないと説明されたことについて、「山萩は老木になると桂と化(な)りかわることがあって、それを萩桂といい、桂の大樹に萩の花が咲くのは知っていたが、萩が栗と化ったのを見るのは今がはじめてである。」(菅江真澄遊覧記4高松日記より引用)と書いています。菅江真澄が「桂の大樹に萩の花が咲くのは知っていた」と書いたとき、大円寺前の萩桂を思い出していたのではないでしょうか。
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