羽州街道 弘前宿

秋田から北上してきた羽州街道は、碇ヶ関、大鰐、石川、取上を経て城下に入り、松森町をすぎて上代官町交差点を右折して和徳(わっとく)町に向います。この道は以前国道7号でしたが、現在は県道260号(石川百田線)になっています。

上代官町交差点から代官町方面

みちのく銀行の辺りが代官町です。みちのく銀行角に立つ標柱には「藩政時代中期、津軽領内には十八の代官所がありました。ひとつの代官所には二人の代官が交代で勤めていました。これらの代官の住む屋敷がこの通りにあったことから代官町と名付けられた」とあります。

代官町から青森方面

羽州街道を進みます。代官町の先は和徳です。和徳小学校をすぎたところのローソンがある交差点が和徳十文字です。今は十字路ですが江戸時代には右方向に行く道がなくて丁字路だったそうです。ここに制札場がありました。制札場は藩の布告などを掲示した場所です。なお、江戸時代はこの付近が弘前宿の中心で旅籠が並んでいたそうです。

和徳十文字から青森方面

さらに進み、和徳稲荷をすぎると右手に「堅田ふれあい広場」という小公園があります。今は青森方面に道が直進していますが、かつてここに和徳枡形があったので直進できずいったん右に折れていました。したがって旧街道はこの公園に沿って右斜め方向に入る道になります。

堅田ふれあい広場

進むと奥羽線の堅田踏切があります。旧街道はすぐに左折するはずなので、線路に吸収されてしまっているか、堅田踏切を渡ってから左折する道のようです。

堅田踏切

踏切をすぎて左折する道を行ってみましたが街道を見失ったようです。奥羽線の線路に出ますが、この道の先に踏切がないので線路向こうにある旧街道に戻れません。いずれにしてもどこかで撫牛子への道につながっているはずです。

奥羽線

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