むつ市道向に鎮座する法呂神社に参拝しました。田名部から大畑方面に向うと田名部の街がとぎれたところの左手に鎮座しています。
一の鳥居です。
境内です。少し高台になっていて、左手にむつの市街がみえます。
社殿です。
江戸時代の紀行家菅江真澄も参拝しています。
菅江真澄 おぶちの牧より
「女館の坂道に、法呂権現という小さな祠があった。この神をこの辺りではところどころに祭っているが、ある人の言うことには、これが藤原秀衡のみたまをあがめ奉った現人神(あらひとがみ)であるというが、はっきりと知る人はないとのことである。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政5年(1793年)10月21日の日記より引用
右手の祠には観音様がおられました。
この辺りは女館(おんなだて)といいます。地名について、菅江真澄は、「むかし蝦夷の女たちがたむろしていた」と由来を書いていますが、東洋文庫版菅江真澄遊覧記の編訳者である宮本常一は、「八戸根城の南部直政の後室清心院が元和年間(1615〜24)、盛岡南部氏の圧迫を避けて、ここに仮住居して娘らの成長を待ったのでこの名がある。」と同書の脚注に記しています。