八戸市豊崎町上永福寺に鎮座する七崎(ならさき)神社に参拝してきました。
古くは七崎観音といいましたが、明治初年の神仏分離により本尊を普賢院に移して七崎神社になりました。
鳥居です。
拝殿です。
本殿です。
境内。
巨木が多い神社です。
案内板には、八戸市指定文化財 昭和48年1月24日指定 天然記念物杉の木三株 承知元年(834)、中納言藤原諸江卿が植えた9本(7本とも言われている)の杉の内の3本が残ったと言われている。とあります。
弘前の巌鬼山神社の大杉と良い勝負だと思います。
こちらの神社に関連する伝説を紹介します。
七崎姫伝説
「昔、八戸の八太郎沼に、恐ろしい大蛇が住んでいました。毎年沼のほとりの村々では娘を人身御供に出さなければなりませんでした。ある時、沼の近くの七崎の多賀に住んでいる長者の娘が人身御供の番に当たりました。
この村に都から流されてきていた公卿がおり、この人の娘である七崎姫が長者の娘の身代わりになろうといいました。
夜がふけると、沼から大蛇があらわれましたが、七崎姫が一心に法華経を読むので大蛇は近づくことができず、水底深く戻ろうとしたとき、姫は「もう一生お前は沼から出てきて悪いことをしてはいけない」としかりつけました。
あくる朝、姫は祭壇の前で気を失っていて、介抱されましたが生き返らずに七崎の観音になりました。
その後、長者の手によって七崎の村に観音のお堂が立てられ、八太郎沼の丘の上にも封じ込められた大蛇の霊をまつる明神様が建てられました。
古い頃は七崎観音の縁日には、その御神体がお神輿に乗せられて、はるばる八太郎沼まで運ばれてきたものでした。それは沼の主が昔を忘れて、あばれているのではないかと、年に一度観音様が見回りにおいでになるのだということです。」
ふるさとの伝説 川合勇太郎著より抜粋引用
南祖坊伝説
修行を積んだ南祖坊(なんそのぼう)が十和田湖に来て、おろちと化して八郎太郎と戦い、これを追い払って十和田湖に入水して新たな十和田湖の主になり、青龍権現として祀られたという伝説があります。
その南祖坊は、斗賀村(南部町)の霊現堂で生まれ、この七崎神社の前身である永福寺で修行したという言い伝えがあります。