「津軽のつと」をたどる

津軽のつとについて

江戸時代の紀行家菅江真澄の「津軽のつと」に出てくる通過地や滞在地をだどります。寛政10年(1798)の旅です。

菅江真澄は平内の童子村に滞在し、小湊に移動しています。正月の風習についての記述が中心です。

文中の日付は旧暦です。なお、日記が始まる寛政10年1月1日は新暦では2月16日にあたります。日記が終わる1月20日は3月7日にあたります。

以下、東洋文庫版菅江真澄遊覧記3「津軽のつと」からの引用です。

寛政10年1月1日

平内の童子村に滞在しています。年が明けると「としみ」をする男が菅むしろを新しく敷替えます。大ぜいの声が聞こえて犬がさかんにほえているのは、山に行って、春に木を伐るための斧しるしをつけてきた人が帰ってきたのです。

1月2日

童子村に滞在しています。結婚してから三年の間、親里に行きかよう習慣がある初嫁初婿と荷物を持った孫八が往来しています。婿嫁の下男となって荷物を背負うものはその者の名にかかわらず孫八といいます。

1月3日

童子村に滞在しています。婿嫁が今の家に帰る日です。昔は七夜泊まっていましたが百年ばかり前にこのようになったと聞きます。

1月4日

童子村に滞在しています。4日、5日は近隣の村の者が新年の挨拶にきます。

1月7日

童子村に滞在しています。ここでは七草粥の行事はありません。

1月9日

小湊に行きます。

1月15日

小湊に滞在しています。「えぶりすり」というものがきます。

1月20日

小湊に滞在しています。みじかい衣をきて、がまはばきをつけ、ぼうしに鉢巻をして男の姿によそおったひとりの女が、杓子舞をおどります。その詞を長いものですが詳細に採録しています。


津軽のをちー津軽のつとー外浜奇勝(三)

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