巌鬼山(がんきさん)神社に参拝してきました。弘前から県道31号で鰺ヶ沢方向に行き、の十面沢(とつらざわ)で左折して1キロほど進むと鳥居が見えてきます。住所は弘前市十腰内(とこしない)字猿沢78です。
もともとは巌鬼山西方寺観音院という寺院だったそうです。神仏分離で巌鬼山神社になりましたが、現在も津軽三十三観音霊場の第五番札所であり、十腰内観音堂と呼ばれています。
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鳥居のそばに手水舎があります。
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参道です。
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拝殿です。
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拝殿の社額。
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本殿です。青森県重宝に指定されています。
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境内には巨木が多いですが、とりわけ、社殿左手にある二本の大杉はすばらしい巨木です。青森県指定天然記念物です。
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拝殿前の大杉。
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拝殿横の大杉。
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江戸時代の紀行家の菅江真澄も当社に詣でています。
菅江真澄「津軽のおち」より
「建石を経て、まだ日の高いうちに十腰内につき、岩鬼山大権現に詣でようと思ううちに雨がふりそうになったので、去年休息した家に宿をかりた。やがて寝入ろうとするころ、ほととぎすが聞こえた。」
「空(うとう)山を左に、大森山のほとりを過ぎて、そこの一軒家の主人、長見筑後とかいう神主の案内でこの堂に詣でた。御坂のかたわらに年を経た大杉の梢の朽ちたのをみて、大同年間(806年頃)に創建されたとの伝えもまことに思われた。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政九年(1797年)5月10日と11日の日記より引用
岩木山山頂の奥宮に対する下宮だったという言い伝えもあります。その下宮が、寛治五年(1091年)に百沢(ひゃくざわ)に遷座したのだそうです。つまり、この地は岩木山神社の旧社地ということになります。
菅江真澄「外浜奇勝(三)」より
「遠い昔には山の麓から岩木峰にのぼるのに、まずこの赤倉が岳を越えたのであるが、たいそう険しく、遭難することがしばしばあったので、この道はやめて、今は百沢から登山するようになったという。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政十年(1798)六月二日の日記より引用
菅江真澄は岩木山登山のルートが巌鬼山神社から赤倉を越えるルートであったものが、岩木山神社のある百沢口に変更になったことを、遠い昔のこととして書き残しています。この登山道変更が下宮の遷座伝承と関係すると思われます。