大畑線の沿革
大畑線は、平成13年まで下北半島に存在した鉄道です。今のJR下北駅から分岐し、津軽海峡に面した旧大畑町(むつ市)の大畑駅までの約18キロを結んでいました。
大畑線には7つの駅が設置されました。
本田名部駅(後に田名部駅)
樺山駅
陸奥関根駅
川代駅
正津川駅
開通時には全て有人の駅でした。
大畑線の開業は、昭和14年12月でした。ちなみに、東北本線の開通は明治24年、大湊線の開通は大正10年でした。大湊線から約20年遅れで開業したことになります。
戦後、自動車の普及に影響されて大畑線は赤字路線となり、昭和56年に国鉄から廃止を提案されました。
地元は国鉄に対して存続を陳情しましたが、最終的に地元のバス会社である下北バスが経営を引き受けることになりました。
昭和60年6月30日、国鉄は大畑線の営業を廃止し、翌7月1日に下北交通大畑線として再出発しました。
しかし、乗降数が振るわず、平成13年4月1日に下北交通大畑線は廃止されました。
幻の大間線
大畑線は大間への延伸が予定されていました。大間線といいます。
大間線は、大正11年公布の改正鉄道敷設法に定められた予定線でした。大湊線に接続し、大間までの路線として計画され着工されました。
国鉄大畑線(その後、下北交通大畑線)は大間線の先行開業区間でした。
大畑駅より先は、釣屋浜駅、木野部駅、赤川駅、下風呂駅、桑畑駅、大間駅、奥戸駅が予定されていました。
大畑側から工事が始まり、風間浦村の桑畑駅まで工事が進みましたが、昭和18年12月に工事が中断され、そのまま廃線になりました。