かつて五戸電気鉄道という会社がありました。
五戸電気鉄道は、昭和5年にスタートし、その後、昭和11年に五戸鉄道に社名を変更、終戦直前の昭和20年に南部鉄道に社名を変更し、昭和43年まで五戸町を起点に鉄道を運行していました。
駅は次の通りです。
尻内駅(現八戸駅)
張田駅
正法寺駅
七崎駅
豊崎駅
上七崎駅
志戸岸駅
県立種鶏場前駅
五戸駅
廃線の直前まで、1日12往復を運行していました。所要時間は約30分です。下の写真はごのへ郷土館に展示されている時刻表です。
五戸鉄道の歴史
五戸町は、江戸時代には盛岡藩の代官所が置かれ、三戸郡の中心として栄えていました。
東北本線の開通後、五戸と東北本線を結ぶ鉄道建設の気運が高まり、地元の有力者を発起人に、1926年(大正15年)2月に五戸電気鉄道が設立されました。
電気鉄道の名の通り、当初は発電所を建設して電車を走らせる予定でしたが、予算上の都合から蒸気機関車による運行に切り替えて、1930年(昭和5年)4月、尻内と五戸駅までの12.3キロが開通し営業を開始しました。
五戸電気鉄道は、第2期計画として、五戸と秋田の毛馬内を結ぶ青秋横断鉄道を計画していました。
また、延長線として、尻内を経て、南尻内、櫛引八幡宮、田面木、県営競馬場、八戸高校、南部吹上、南八戸、小中野、鮫までの計画(JR八戸線の南側を通るルート)もありましたが、具体化に進みませんでした。
廃線とその後
南部鉄道は、1968年(昭和43年)5月に発生した十勝沖地震によって壊滅的な被害を受け地震発生直後から全面運休になりました。
そして、1969年(昭和44年)4月に、復旧を断念し廃線となってしまいました。
南部鉄道株式会社はバス専業の会社になり、1970年(昭和45年)5月に、南部バス株式会社に社名変更しました。
現在もバス停名は「五戸駅前」です。
その後、2017年(平成29年)3月、南部バス株式会社は、岩手県北自動車へ譲渡され、南部バス株式会社は消滅し、岩手県北自動車南部支社になりました。事業譲渡後も南部バスの呼称は維持されています。