矢沢正八幡宮 藤崎町矢沢

藤崎町矢沢にある正八幡宮です。

矢沢正八幡宮

菅江真澄 津軽の奥(二)より
「矢沢という村にくると、道のかたわらに八幡の神社があった。この境内の松の枝がたれふして、葉の先を地面にさげており、ここかしこに高いのや低いのや鳥居がたちならび、それに雪が降りつもった枝のかかっている風情はまたかくべつである。この境内にある木々ばかりが、このように地に伏しているのは、とくに風の強くあたるところだからであろうと思ったが、神社の近所の屋敷にある木々はまったく伏していなかった。」
続く

拝殿です。

拝殿

左側の祠の屋根から御神木が突き出ています。

境内
御神木

菅江真澄 続き
「この村のさだめとして、嫁が馬か、こしに乗って、ここに入ってくるのを待ち受けて、村じゅうの人が集まり、道にむしろを敷いて、その嫁をひきおろし、座らせる。そしているかぎりの人々がみなでてきて、嫁が美しい顔であればほめ、よくないときは「そのつらをして」などと、おとしめ ののしる。こうしてのちに、村長(むらおさ)が、何の木でもよいが常緑樹の一枝を折ってきて、夫婦のなかは行末もかわることなく、栄えていくようにと、その嫁に与える習慣があったが、いまはそのならわしも絶えてしまったと語った」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政七年(一七九五年)十一月二十四日の日記より引用

1795年にはすでに昔ばなしになっていたようです。変わった風習です。

拝殿

この神社には坂上田村麻呂伝説もあります。

境内にあった由緒書より

「旧郷社矢沢正八幡宮の縁起については、二説がある。その一つは、大同年間(806~810)において、坂上田村麻呂が蝦夷の主魁高丸を射殺した際の矢を、修験の僧明円に与え、その矢を正八幡宮として祀り、矢沢山勝軍寺を建立したという説と、もう一つは、元和元年(1615)この近くから異体の木像を発見し、それを祀ったのが始まりとも伝えられている。明治の神仏分離の時までは別当は修験であった。祭神は誉田別命で、祭日は新暦7月1日である。」

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