津軽半島を国道339号で北上、道の駅「十三湖高原」の少し小泊よりに福島城跡があります。面積は約62万5000平方メートル。弘前城より広い(弘前城の面積は約50万平方メートル)のです。
国道沿いに「福島城外濠跡」という案内柱が立っています。ここに数台分の駐車スペースがあります。右が土塁、左が空堀です。


土塁の上は遊歩道になっています。


土塁の規模は、高さ3~4メートル、幅12~13メートル、南北に1キロ(城内の案内板による)。
土塁の上を進んでいくと外郭門跡があります。

外郭門跡から500メートルほど入ると内郭に達するのですが、いったん、国道に戻ります。
土塁の場所から少し移動、内郭前に着きました。左右が駐車場です。

ここから内郭に入ります。

内郭の内濠。

この門をくぐって、


広々としています。




内郭の土塁。

福島城は安藤氏が十三に拠点を移した鎌倉時代以降の城とされていましたが、最近の研究では、10世紀後半ころ、つまり平安時代後期にさかのぼる可能性が強くなったようです。蝦夷の城といういう可能性もあります。
江戸時代の紀行家菅江真澄が相内に泊まっていますが、この文にある「ふるい城柵のあと」がここ福島城跡だと思われます。
「今泉という村にくると、山路にゆく道があり、また潟辺へゆく道もあった。この潟ぞいの涼しい道をつたってゆくと、水面上に遠く岩木山が巻き貝のような形に眺められる。ななひらの山の麓もすぎて、中山もとおり、赤坂をくだった。南方に大野という広い野があり、そこに誰であったか、すんでいたというふるい城柵のあとがあった。神明の社のある林に幣をとり、橋をわたれば相内の里(市浦村)になって、三輪某という酒屋のもとに宿をかりた。」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 外浜奇勝 寛政八年(一七九六年)六月二十二日の日記より引用
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