平内町の雷電宮(らいでんぐう)に参拝。夏泊半島のつけね、浅所海岸に鎮座。
御祭神は別雷命(わけいかづちのみこと)。雷様が神様です。近くの浅所海岸に飛来する白鳥は神様のお使い。
県道に面した鳥居。
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参道です。
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降雷大杉、この杉に雷が落ちたらしいです。
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拝殿。
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社額。
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本殿です。
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拝殿から振り返ると川。盛田川です。
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船着き場だと思います。拝殿の正面です。
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この椅子に座ってしばし川面を眺める。
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菅江真澄も訪れています。この川の向こう岸から遥拝したようです。
菅江真澄 津軽の奥(一)より
「浜子というところを来ると、沼館といって家が二軒あるあたりから、雷電の林はたいそう近い。以前、ここを通ったときは、つれだった人が道をいそぎ、こころあわただしく過ぎて詣でなかったので、このたびはと鳥居をくぐった。木深い森の下道を二町ほどくると、潮たて川といって、潮が満ちるとたいそう深くなる御手洗川があり、その渡りは一里あまりとか、遠く水をへだてて見わたすところにある神社である。近いところまで橋がわたされてあったが、氷のために橋の柱が砕けて、橋けたもわずかばかり見えているだけになった。海の波がうち寄せるばかりで青海原がまぢかく、とても渡ることがむつかしいので、こちらの川岸で手を洗い、ぬかづいた。
むこうの海辺に浅所という村があるが、渡し舟を呼んでも聞こえそうもないと、案内のひとが言った。別の方向から詣でる道があるというので、ここを出て道をたどり、神明の祠を拝んでから、小湊に出て雷神社の由来を尋ねようと、その神社に仕えている雷電山日光院という修験者のもとを訪れた。験者の言うことには、「ころは大同二年(807)とか、(坂上)田村麿が創建されて、(京都の)加茂(神社)をうつし奉ったのであるとだけ聞いている。その由来を記した文などは、火災にあって失った」とのことであった」
東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 寛政七年(一七九五年)三月二十二日の日記より引用