【追記】2012年4月20日
このところ、良い天気が続いています。
青森市からみる八甲田山です。

【追記】2012年1月18日
久しぶりの良い天気でした。この天気、少し続いてほしいです。
白く見えるのが八甲田山です。津軽の方からはこのように見えます。

【投稿】2011年10月21日
青森空港付近からみた八甲田山です。
今日はおだやかな天気でした。気温は20度くらいまで上がったようです。

八甲田山と黄金
奈良時代、大仏建立の際、大仏にメッキする金が陸奥国小田郡というところで見つかって献上されたという記録があります。天平21年(749年)のことです。
金が見つかったところは、宮城県の金華山であるといわれています。また、宮城県遠田郡の黄金追(こがねはざま)ともいわれています。
定説としては、遠田郡に軍配が上がっているようですが、もう一つ、青森の八甲田山であるという説もあります。
万葉集にある大伴家持の歌
「鳥がなく東のくにの陸奥の小田なる山にこがねありとは」
この「小田なる山」が八甲田山であると古くから言われてきたそうです。
三河国の菅江真澄という人が、東北の旅に出て各地の見聞を記録していますが、寛政7年(1795)の日記に、八甲田山のふもとの青森市入内の辺りを歩いて、黄金にまつわる見聞を書いています。
菅江真澄は、当初は八甲田山が「小田なる山」だと確信したようですが、その後、自信を失ったようです。
以下、東洋文庫版 菅江真澄遊覧記3 内田武志氏の解説 より
「陸奥の旅に出た真澄は、当初から、わが国最初の金産地「みちのくの小田なる山」を自分の目で確かめてみることを目標の一つと考えていたようである。仙台へきて、牡鹿郡の金華山とよばれる島へ渡ってみたとき、小田なる山はここをさすのだという俗説に疑問をもった。老人の金堀りなどに聞いても、今も昔も、この山から黄金を掘ったという事実はない、むかし役人が調査にきたことがあったが、光る砂石をみて誤認して、ここを金花山とよんだという。なるほど古史には、小田なる山といっているが、小田なる島とは記していない。だから金花山説は誤りである・・・と、随筆「みちのく山」に詳しく説いている。それから津軽まできて、ようやくそれらしいと推定したところが八甲田山であった。それは、小田なる山が耕田岳(八甲田山)に名称が似ているせいばかりではなかったろう。旧藩時代、津軽でもっとも権威をもっていた藩史「津軽一統志」にも「金は当国小田郡より出ず」とあり、また、ちょうど真澄が訪れたころ記された「津軽俗説選」にも「八耕田むかしは金山なり。今も金を分けし道具、麓の村に所持せしものありといへり」「砂金いにしへ当郡に多し」などとある。このような津軽の人の話を聞かされて、真澄も、金産地小田郡の所在がこの土地で実証できるのではないかと思ったのかもしれない。しかし、真澄は晩年になって、それは誤りだったとさとったので、最後に「すみかの山」を改写するとき、そこを書きかえたのである。」
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