青森市浪岡の美人川公園は、浪岡から空港へ行く道、浪岡城跡を通る旧道の方です。東北自動車道と交差してすぐのところにあります。
名前の由来が公園の案内板に書いてありました。
=全文引用です。
美人川伝説
平安時代の終わりごろのことである。京都の公卿、近衛関白にたいへん器量の悪い福姫という娘がいた。なかなかお興入れの機会に恵まれないということで、両親はことのほか心配していた。そんな両親が、娘の良縁を願って、清水観音へ願掛けにいったところ、ある日、不思議なお告げがあった。それは、津軽の外ケ浜で炭焼きをしている藤太のところへ嫁ぎなさいというものだった。
両親から事の次第を告げられた福姫は、意を決して、一人津軽へと旅立った。はるばる津軽へと足を踏み入れたところで福姫は、まだ見知らぬ自分の夫に会えるのかと思い、身なりを整え、かたわらの川の流れで顔を洗ったのだった。そして、そこで拾った杉の葉を楊枝にしてお歯黒をつけようと、ふところから取り出した鏡をのぞき込んだ。驚いたことに、それまでの醜さとはうってかわって、世にも美しい娘に変じていたのである。
世にもまれな美人となった福姫は、やがて出会った藤太という炭焼きと結ばれたのだった。藤原一族の流れをくむ高貴な名門の出であった藤太は、外ケ浜におちのびて炭焼きに身をひそめていたのでした。
藤太に嫁いだ姫は、献身的に夫に尽くし、二人はやがて津軽地域の有力な豪族となったのである。
この伝説にちなみ、姫が顔を洗った川は「美人川」と呼ばれるようになり、又、お歯黒をつけた楊枝の葉はいつしか根付いて今では巨大な杉の大木に成長し、「楊子杉」と呼ばれるようになったとう。
その杉は今も羽黒神社の境内に残っている。
=引用ここまで
要約すると、
関白の娘は不美人だったので嫁に行けなかった。
両親が津軽の炭焼き藤太のところに嫁げと言った。
そこで福姫は一人で津軽に来た。一人でです。よほど疎まれたんでしょうね。
で、この川で顔を洗ったら美人になった。
そこで藤太と結婚し、姫の献身もあって藤太は豪族になった。
美人=幸せな結婚、と結びつけているところが、ちょいとけしからんですな。
津軽家の由来伝説の一つです。
道路側からみる公園です。手前に駐車場があります。
これが美人川です。低い場所なので公園の端までこないとみえません。
美人川に架かる橋は福姫橋。
この橋を渡って少し上っていくと、「楊子杉(ようじすぎ)」のある羽黒神社です。
なお、福姫は一人ではなく、乳母に伴われており、源常林のイチョウは乳母の杖が成長したものだという伝説もあります。
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